伊予商人から日本信販(JCB生みの親)まで!国内クレジット産業の始まり
アメリカを中心に世界へと広がっていった「クレジットカード」。その芽はアメリカだけでなく、日本にもありました。
日本社会におけるクレジット産業の萌芽となったのは、いわゆる「月賦」販売です。
クレジット販売のルーツは、愛媛県の伊予商人にあると言われています。
瀬戸内海沿岸は降雨量が少ないこともあり、農業だけで生計を立てていくのは簡単なことではありませんでした。
彼らは、農閑期などに農具を作っては、小舟に乗って行商に出ます。
やがて江戸時代の後半になると、漆器などの高級品を扱うようになります。明治時代になると鉄道も発達し、各地の旅館などを足がかりにして、販売地域を広げました。
高級品の代金を一括で全て支払えるお客は多くありません。そうした中で必然的に出てきたのが、頭金をとっての割賦方式による分割払いです。
1900年代に入る頃には、「頭金1割をとって品物を先渡しし、残りを9ヶ月に分割して集金する」というシステムが日本でも確立されたのでした。
そして1915年、愛媛の「伊予商人」たちが東京に出はじめます。