国内クレジットカードはなぜ海外ブランドに飲み込まれた?1980年の一大転機とは

日本のクレジットカード産業は、1960年の日本ダイナースクラブ設立とともに幕を開けました。

翌年には日本信販とそのメインバンクだった三和銀行(現・三菱UFJ)が合弁で「日本クレジット・ビューロー(JCB)」を創立。

JCBは多くのステークホルダーを巻き込んで、急速に成長することとなります。

これを目の当たりにした他の都銀は、クレジットカード市場のポテンシャルに気がつき、カード事業に参入していくのでした。

「都銀」系クレジットカードの乱立

1967年に入ってきたのが、住友銀行の「住友クレジット・サービス」と三菱銀行による「ダイヤモンドクレジット(DC)」です。翌年には東海銀行(後のUFJ)も「ミリオンカード・サービス(MC)」を設立。

住友クレジット・サービス(住友カード)は、当初からアメリカのVISAと提携し、日本におけるフランチャイジーとしての立場を確立しました。

一方、住友銀行のダイヤモンドクレジットは、「18歳以上の男女で定職のある人」という緩やかな条件を押し出します。

若手層を主なターゲットとして、増改築ローン、墓園ローンなどユニークなローンとともに、消費者金融サービスにも力を入れました。

ミリオンカード・サービスも、徹底した大衆志向を推し進めます。

1972年からメールローン(郵便申し込みによる有志)を開始し、消費者金融ニーズに積極的に答えました。

やがて、日本ダイナースクラブに出資した富士銀行も、エリート向けにクレジットカード事業を展開してもスケールしないことに気がつきます。

そこで今度は、第一勧業、埼玉、太陽神戸などの都銀を巻き込み、1969年に「ユニオンクレジット(UC)」を創立。

最後発でありながら、既存の4社をごぼう抜きにして、あっという間にJCBに次ぐポジションを築き上げたのです。

1980年に訪れた一大転機

1975年ごろまで、海外渡航者には短期(1ヶ月、3ヶ月、半年など)の海外旅行カードを有料発行するのが通常でした。

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