実はヘンリーフォードじゃない!自動車量産の土台「組み立てライン」を考えたのは誰?
(前回のつづき)
20世紀の初めまで、自動車の生産は「職人」の手によるものでした。
彼らは自動車を深く理解し、会社と個別に契約を結ぶ「自営業者」だったのです。
そのため、たとえ同じ設計図を使っても、完全に同じ自動車を二台つくることはできません。むしろ、どの自動車にも「個性」が要求されました。
何と言っても、顧客の多くは値段にこだわらない貴族階級。当時の自動車は、工業製品というより「工芸品」に近かったと言えます。
そうした傾向は特にヨーロッパで強く、自動車を大量生産しようとする者はほとんどいませんでした。
一方、アメリカは違います。国土は広大で、鉄道はあっても全大陸を網羅することはできません。そうした中で、ヘンリー・フォード以外にも数多くの自動車メーカーが登場しました。
中でも大成功を収めたのが、フォードより先に「ライン組立方式」を実現したランサム・オールズです。
オールズは、職人による手作りが当たり前だった自動車製造に「分業」という概念を持ち込みました。
車種を1つに絞って部品は外注し、自社の工場で組み立てるという方式を採用したのです。
工場内でも、手押しの台車にクルマのシャーシを乗せ、部品を順番にくっつけて完成させるという「流れ作業」を取り入れました。
1905年までに作られた「カーブドダッシュ・オールズモビル」は1万8,000台を超え、安価な自動車として人気を博しました。
ところが、オールズの出資者が経営方針を転換。低価格車ではなく、利潤が大きい高価格車を作ることを要求します。
野望をくじかれたオールズは会社を去り、1908年に設立されたばかりのGMによって吸収されています。