「三菱財閥」の土台を作った2代目「岩崎弥之助」①
三菱財閥の2代目、岩崎弥之助は1851年生まれ。創始者である弥太郎の16歳年下の弟でした。
豪傑タイプの弥太郎とは正反対に、小さい頃は体が弱く、医師や両親が見放すほどの病気にかかったこともあるそうです。
兄の弥太郎は、そんな弥之助を「この子は絶対に助ける」と必死で看病するなど、非常に目をかけていました。
やがて岩崎家が豊かになっていくにつれ、弥之助は勉学に才能を発揮。1872年になるとアメリカのニューヨークへと留学します。
1年強で帰ってきた弥之助は、早くも英語を完璧にマスターしており、豪放ながら英語はできない弥太郎の理想的な補佐役(副社長)となります。
弥太郎が胃ガンに倒れると、代わりに指揮をとったのは当然、弥之助です。