「三菱財閥」はどのように始まった?創始者・岩崎弥太郎の生涯④

前回の続き)

1875年、岩崎弥太郎が率いる三菱商会は、「三菱海上王国」と言われるほど、圧倒的なシェアを獲得しました。その大きな力となったのが、日本政府による直接的な支援です。戦争で海上輸送を提供する代わりに船を与えられ、年間25万円という巨額の支援を受けることになったのです。

反三菱派が巨大な競合会社を創立

ところが1881年、「明治14年の政変」によって薩長藩閥政府が成立すると、大きな逆風が吹くことになります。15年間、三菱を保護すると書かれた「第二命令書」がわずか5年で改訂され、三菱が海運以外への事業進出を禁じる「第三命令書」を交付したのです。

さらに藩閥政府は、三菱に対抗できる海運会社を再び創設しようと動きます。こうして生まれたのが、渋沢栄一や益田孝、大倉喜八郎などの援助を得て、600万円という巨額の資本金で作られた「共同運輸会社」です。

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