「三菱財閥」はどのように始まった?創始者・岩崎弥太郎の生涯②
(前回の続き)
三菱グループの創始者、岩崎弥太郎といえば「不屈の商人」と言うイメージが一般的です。「地下浪人」として生まれたものの諦めず、土佐藩の参政・吉田東洋に見出され、藩での仕事を獲得。
ところが、出張先の長崎で遊郭にハマってしまい、藩のお金を使い込んでしまうのです。女で道を踏み外した弥太郎は、藩の役職を解かれ、使い込み分を借金として背負うことになりました。
しばらくの間、実家の田畑を耕して暮らしていた弥太郎ですが、1861年に親戚の郷士から郷士株を買い取り、武士の身分を取り戻します。こうして弥太郎は、家老・福岡宮内に仕える郷士となったのです。福岡は、吉田東洋一派に属する土佐藩の重役でした。
この時の弥太郎に、郷士株を買えるほどの財力があったとは考えられません。おそらく吉田東洋から密かに呼び出されたのでは、と言われています。この翌年には喜勢と結婚するなど、仕事と家庭が順調に回り始めた弥太郎でしたが、その矢先に悲運が襲います。