Googleの歴史をたどる上で、最後に欠かせないのがモバイルOS「Android」です。
日本ではAppleのiPhoneが人気ですが、世界的に見ればむしろ例外的。世界シェアでは76%、端末売上シェアでは実に88%がAndroidと、世界のモバイル市場を文字通り牛耳っているのです。
Androidの生みの親、アンディ・ルービンは1963年生まれ。
ハードウェアを扱う技術者として働いたのち、1989年にAppleに入社。「Android」という名前は、当時の同僚が考えてくれたと言います。
1995年にはAppleからスピンオフしたGeneral Magicへ移籍し、携帯電話OS「Magic Cap」の開発に携わりました。
いくつもの技術職を転々としていたルービンですが、1999年に自分の会社「Danger」を設立します。モバイルOS「Danger Hiptop」を開発しますが、顧客となったT-Mobileが「T-Mobile Sidekick」としてブランド化。(スティーブ・ウォズニアックも経営に参加していたらしい)
現在のスマートフォンとは似ても似つかない代物ではありますが、iPhone前のスマートフォン登場に大きな影響を与えたと言われています。
そして2003年、ルービンはAndroid社を設立。
オープンソースのモバイルOSを世界に普及させるという、極めて野心的な目標を掲げました。
ビジネスプランは、携帯電話OSを無償でメーカーなどに提供し、追加の有料版サービスによって収益化するというもの。
オープンソース業界では一般的なビジネスモデルではありますが、一つ大きな問題がありました。携帯電話メーカーは、基盤となるOSについて支配権を手放したくなかったのです。
ほとんどの人がAndroidを「大海原を沸騰させようとするような」無謀なチャレンジだとみなしましたが、数少ない例外がいました。その人物こそ、Google創業者のラリー・ペイジです。