国家を超える支配力を誇った「モルガン家」の盛衰(中編)

ジューニアス・モルガンは、フランス公債を引き受けて大成功し、ロンドンで一番金持ちのアメリカ系金融業者となりました。

父の巨大な資本力をバックに、ニューヨークのウォール街でのし上がったのが、モルガン商会の創始者であるジョン・ピアポント・モルガンです。

企業の相談相手として「権力」を拡大

1865年に南北戦争が終わると、アメリカで鉄道建設ブームが巻き起こりました。ところが、きちんとした規制はなく、鉄道株は問題の温床となります。

「乗っ取り屋」ジェイ・グールドは、ある小さな鉄道会社を買収しようと株を買い占めました。創業者を追放すると、創業者は裁判でグールドを解任し、映画のような暴力沙汰に発展しました。

グールド側は、ならず者800人を集めて列車に乗り込み、創業者側も450人ほど詰め込んだ列車を出し、両者を正面衝突させたのです。10人ほど射殺による死者も出たと言います。

この調停役に選ばれたのが、出資者の一人だったピアポント・モルガンです。

取締役に入れられたピアポントは、判事を連れてきて対立派の取締役を追い払い、さらには別の鉄道との合併を進め、見事に紛争を解決しました。ピアポントは単なる資金の出し手ではなく、企業の相談相手として頼られ、お金以上に「権力」を強めました

ピアポントのモルガン商会が圧倒的な存在になるきっかけとなったのが、1873年の金融恐慌です。

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