ジョージ・ソロスの半生②地味なキャリアスタートと「投資家」人生の始まり
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを卒業したジョージ・ソロスは、イギリスの装身具メーカーに見習い社員として入社します。
記念品や土産物、宝飾品などを作っている会社で、金融と何の関係もない会社ですが、コネもないソロスのような移民にとって、就職することは容易ではなかったのです。
セールスマンとして働きはじめたソロスは、卸売業者の1つに転職。ウェールズの海浜リゾートで小売業者に商品を売り歩いたそうで、「キャリアの中で最低の時期」だったと回想しています。
「こんな仕事のために勉強してきたんじゃない」と思っていたソロスは、根本的な変化が必要だと決意。
ロンドンのマーチャントバンク全てに手紙を書いて、マネージング・ディレクター個人あてに送ります。
そのうちいくつかには、おもしろい返事が返ってきて、面接にもこぎつけます。
その内の一人は、親切にも「シティ(ロンドンの金融街)に入りたいなら、その方法は見当違い」と伝えてくれます。シティには「知的な血縁主義」という考え方があり、「マネージャーと血縁関係があって同じ大学出身なら、職を得るチャンスがある」と教えてくれたのです。
つまり、そもそも生まれの違うソロスにはチャンスがないというわけです。
しかし、その後の面接で「シンガー&フリードランダー」という会社から採用されることになります。採用に効いたのが、そこのマネージング・ディレクターがハンガリー人だったこと。
1953年、23歳にしてようやくジョージ・ソロスは、金融界に足を踏み入れることができたのでした。
なんとか金融業界に入ったソロスでしたが、仕事は依然として面白くありませんでした。