今回取り上げるのは、ウォーレン・バフェットと並んで世界を代表するマネー・マネジャーとして称される、ジョージ・ソロス氏の半生です。
1973年に立ち上げたクォンタム・ファンド(当初はソロス・ファンド)では10年で40倍超という驚異的なリターンを叩き出し、1992年のポンド危機では総額100億ドルを投じ、一夜で10億ドルの利益を稼いだとも言われます。
数々の伝説をもつジョージ・ソロスですが、彼には人生を貫く「大きな軸」とも言える哲学がありました。
今回は、ジョージ・ソロスの半生について、4本の記事でザクっとまとめたいと思います。
ソロスは、1930年にハンガリーのブダペストに生まれました。
ユダヤ人家庭の二人兄弟の次男で、父親は弁護士。父親のティヴォドア・ソロスがまた、メチャメチャ強烈な人物でした。
父親は元々、とても野心的な若者で、第一次大戦が勃発した際、オーストリア=ハンガリー帝国軍に志願します。
大戦ではロシア軍の捕虜になってしまい、シベリアの収容所で生活。ところが、捕虜となってもティヴォドアの野心は抑えられず、捕虜仲間が発行する新聞の編集長となります。
収容所での人気は大したもので、しまいには捕虜代表に選ばれます。
しかし、近くの別の収容所から兵士が脱走した際、罰としてその収容所の捕虜代表が射殺されるという事件が勃発。 自分も殺されては敵わないということで、父親は仲間をひきつれて集団脱走を試みたのです。
筏(いかだ)を組み立てて川ぞいに海まで行こう、という計画を立てた父親でしたが、シベリアの川が北極海に流れ込むことを知りませんでした。
何日か筏の上で過ごし、やっと自分たちが北極海に向かっていたことに気づきますが、そこから人間のいる場所に戻るまでさらに数ヶ月がかかります。そうしている間にロシア革命が起こり、騒ぎに巻き込まれます。
その後はハンガリーで結婚し、次男として生まれたのがジョージ・ソロスです。ソロスの父親はその後、自分の体験を著書として出してもいます。