テルモといえば体温計の会社、というのが一般的なイメージだと思います。
実際に薬局に行けばほぼ必ず、テルモの体温計が売られています。しかし、日本の時価総額ランキングを上から見ていくと、なんと78番目の1兆6386億円という順位にテルモが君臨していました。
体温計で時価総額1兆円超え?そんなはずはありません。
ということで、今回は意外と知らないテルモの事業について調べて見たいと思います。
テルモは1921年、現在の台東区御徒町にて体温計を製造する小さな町工場「赤線検温器株式会社」として始まりました。
発起人の一人には有名な医学界の重鎮、北里柴三郎博士も名を連ねています。
創業からしばらくの間は、やはりテルモは体温計メーカーとして事業を成長させていきます。当初は、特に勘と職人技が体温計のガラス管づくりを支えており、1929年には米国ベクトン・ディキンソン社と「特許権譲渡契約書」を交わし、輸出にも乗り出します。
1932年には1万本を超える輸出量を叩き出し、翌年には2万2000本、翌々年には3万7000本、そして1935年には18万7000本にも達したとのことです。
しかし、職人技には大量生産できないという欠陥があります。テルモはそのことに問題意識を持っており、1965年には自動製管による良質なガラス管づくりに成功。
この時がテルモの現代的な医療機器メーカーとしての本格的な第一歩だったのかもしれません。
実際、1960年ごろからテルモは体温計以外の扱いを本格化し、多角化を進めていきます。
使い捨て注射器(1963年)や、塩化ビニール樹脂製の血液バッグ(1969年)などを開発。ここまでくると完全に体温計ではありません。
1971年にはアメリカの販売拠点として現地法人も設立。その後はベルギーやイギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパにも事業を拡大。
1980年代には人工臓器や電子体温計、高性能カテーテルなど、さらなる先端医療分野への進出を果たします。
体温計の製造から始まり、医療の発展とともに技術を先進化させてきた医療機器メーカー。それこそがテルモという会社だということがわかります。
テルモの現在の事業領域は大きく3つあります。