今回は、トイレや洗面台などの衛生陶器や「ウォシュレット」などを展開する日本企業、「TOTO」について取り上げたいと思います。
・1917年の創立まで
TOTOの発祥は、幕末生まれの実業家、大倉孫兵衛(1843年〜1921年)にさかのぼります。
家業の絵草紙屋から独立し、大倉書店や大倉孫兵衛洋紙店などを興したのち、武具商を商っていた森村家の娘と結婚。
二人の息子である大倉和親(1875年〜1955年)は、慶応幼稚舎から慶応大学までを卒業したのち、森村組に入りますが、1904年に父と共同で「日本陶器合名会社(現・ノリタケカンパニーリミテド)」を創立。
創立の際に親子はヨーロッパを視察しますが、そこで真っ白で清潔な衛生陶器を目の当たりにし、和親氏の心を掴みます。
当時、日本のトイレは汲み取り式(いわゆるボットン便所)が主流でした。
いずれ、日本にも衛生陶器の時代がくると確信し、日本陶器の設立後も和親氏は衛生陶器への思いを持ち続けます。
衛生陶器の存在について知る人自体がほとんどいない時代、周囲の理解はほとんど得ることはできませんでした。
そこで親子は、1912年に私財を投げうって日本陶器の敷地内に衛生陶器に関する研究所を作ります。
それから9,000個以上もの試作品を作ったのち、施策販売の手応えを得た和親氏は衛生陶器の事業化を決意。
1917年に福岡県北九州市にて「東洋陶器(TOTOの前身)」を創立しました。
・1923年の関東大震災を契機に普及を開始
しかし、衛生陶器時代の認知度が低かった当時、売上は芳しいとは言えませんでした。
東洋陶器は衛生陶器の素晴らしさを伝えるための啓発書を作ったり、東京に出張所を出すなど、需要の拡大を狙います。
和親氏は、品質と生産性を向上させるために再び私財を投入して、最新式のトンネル釜も導入しています。
ところが、トンネル釜を導入した直後、第一次世界大戦後の恐慌により需要はさらに冷え込みます。
そして1923年には関東大震災が起こります。
多くのビルが倒壊し、東洋陶器の東京出張所も焼けてしまいました。社内では、この震災でさらに需要が落ち込むのではないかと不安視されました。
しかし予想に反し、震災をきっかけに東洋陶器の状況は好転します。