旅行業大手のエイチアイエスが苦境に直面している。新型コロナウイルスの感染拡大によって旅行需要は急減、特に海外旅行はほとんどゼロといっていいレベルに落ち込んだ。
こういった局面こそ問われるのがトップの経営手腕だ。100年に一度ともいうべき苦境をどのように乗り切るのか。その鍵を握るのが創業者の澤田秀雄氏である。
澤田氏はかつて、孫正義氏ら「ベンチャー三銃士」と呼ばれた起業家の一人だった。それから何十年も経ってなお現役を続ける、稀代の経営者の一人であることは間違いないだろう。
そこで今回は、国内外の旅行産業の歴史を少し紐解いた上で、澤田氏およびエイチアイエスが成し遂げた過去の偉業と、足元で取り組んでいることについて確認してみたい。
近代旅行業の始まりは1841年、英国のトーマス・クックが鉄道乗車券の一括手配を始めた時だと言われている。
それ以前に原型と呼べるものが無かったわけではない。中世ヨーロッパではヴェネツィアからパレスチナへの巡礼船を定期運行したアゴスチノ・コンタリーニや、日本でも伊勢への参詣ツアーを行った「御師」が存在した。
しかし、どれも永続的なものにはならず、本格的な旅行業の発展には鉄道の普及を待たなくてはならなかった。
トーマス・クックはキリスト教農場労働者の子として生まれたが、幼くして父を亡くす。家が貧しくて10歳で退学して働き、教会の日曜学校で学んだ。20歳(1828年)のときには村の教会活動を任されるまでに成長し、布教活動に励んだ。
クックが旅行業を開始するきっかけになったのが当時の「禁酒運動」だ。産業革命によって農民や下層民が工場労働者となるが、休日の数少ない気晴らしが飲酒だった。
貧しい人ほど安いジンを飲み、歯止めが効かない。酒にお金を使い果たして家族を露頭に迷わせてしまうこともあり、大きな社会問題になっていた。
1840年にミドランド・カウンティ鉄道が開通すると、クックはこれを利用して1841年、禁酒大会に参加するグループ旅行を計画した。旅行業の誕生は禁酒運動により多くの同志を集めるためだったのだ。
説教師として各地を渡り歩いたクックは、自分の町を一歩も出ることなく生涯を終える庶民の生き方を哀しんでもいた。鉄道と旅行は人を啓発するものと信じ、強い使命感をもって旅行業を立ち上げたという。
そして1845年、クックは初となる手数料を受け取っての営利旅行を企画する。クックが企画するツアーは人気を博し、鉄道会社から嫉妬されるほどであった。
苦労しつつも「トーマス・クック」の名前は旅行代理店の老舗としては世界中で知られる存在となり、2019年9月に破綻するまで続いた。その後は英国の旅行代理店「ヘイズ・トラベル」によって店舗が引き取られるなど、複数の買い手に散らばった。