学研教室などの教育サービスや医療福祉事業を行なっている「学研ホールディングス」を取り上げる。
創設者の故・古岡秀人氏は少年時代、熱心な勉強家だった。
幼くして父を亡くした古岡秀人は、たった1人で懸命に頑張る母の姿をみて育つ。母は口癖のように「お前は先生になってくれ」という言葉を繰り返し説き続けた。
中学へ行けなかった古岡は、母を支えるために昼は働き、夜は勉強をして少年時代を過ごした。「世の中では名誉も大事。お金も大事。でも、それよりもっと大事なものは教育だ」これが母の信念であった。
努力の末、独学で師範学校(現教員養成学校)へ入学し、卒業の翌年に超難関試験(旧制の文部省教員検定試験)に合格することができたのだった。
1946年4月、「戦後の復興は教育をおいてほかにない」 という信念のもと「学習研究所」を創立。
当時の学習研究所(現在の学研ホールディングス)は起業後間もなかったため、学習雑誌を出版しても取次が扱ってくれなかった。そのため、書店を通さずに学校で直接販売するシステムで事業をスタートした。
しかし、1971年に消費者基本法が制定されたのをきっかけに「学校を商売の場所にするな」という批判が殺到し中止。通称「学研のおばちゃん」と呼ばれる女性販売員が直接家庭へ訪問販売するシステムへ変えることで事業を維持した。
Strainer
こうした動きに陰りが見えたのは1990年代のことだ。出版市場が急速に縮小し、学習雑誌の売上が低下。それに伴い、業績も減収が続くことになる。
活路を開いたのは、2010年に社長に就任した宮原博昭氏だ。
宮原氏は防衛大出身で、学研には「地域限定社員」として中途採用で入社。兵庫県の「学研教室」の一担当者から出世した叩き上げだ。
2009年10月には「学研ホールディングス」を持ち株会社とし、少子高齢化・デジタル化によって小さくなっていく市場に対し、効率的なグループ経営を行うことで状況を打開しようと試み始めた。今回は、学研HDのV字回復の動きを解説しよう。